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前回の記事ではレゲエの神様と言われている『ボブ・マーリー』についての記事でした。(もし興味がある方は読んで見て下さい。)
今回もレゲエについて深掘りブログ書いてます!真面目に書いてるのぜひ最後まで読んで下さいね!
私たちが普段耳にしたり演奏したりする音楽のジャンルは、どんどん増え続け、多様化していますよね。その中でも特にメッセージ性が強く、演奏スタイルやファッションにおいても特別な雰囲気で唯一無二の存在なのがレゲエではないか!?と私は勝手に思ってます(笑)
ヒットチャートに名を連ねたり、夏が来ると当たり前のようにレゲエが聴きたくなるほどに、すでに日本でもレゲエは非常にメジャーな音楽になってるな〜と。
湘南乃風やMINMIなどをはじめとするレゲエミュージシャンも日本にはもちろんたくさんいて、今ではレゲエに特化したフェスまでも開かれるようになりました。しかし、レゲエに触れる機会が増えた日本でも、レゲエの特徴やルーツについて詳しく知る人はあまりいないかな?と思います。
独特のリズムで魂に届くメッセージを伝え続けてきたレゲエという音楽について、気ままに紹介します!
レゲエってどんな音楽?
レゲエはジャマイカで1960年代後半に発祥したポピュラー音楽で、2拍、4拍目にドラムの音が入るロックやブルースに対し、裏拍にアクセントがくることや、うねるようなベースが特徴的な音楽です。
初期の頃のルーツレゲエと呼ばれるものは、単純なベースに裏拍でリズムを刻むギターと、そこにボンゴやジャンベなどの打楽器を使ってアクセントがつけられていて、穏やかなリズム感で、ゆったりとした曲調のものが多くなっています。
生活の貧しさの中で生まれた音楽であることもあり、音源がなく生音がメインだったルーツレゲエから、打ち込みという手法によってダンスホールレゲエというスタイルも生まれました。
ジャマイカは90%以上が黒人奴隷だったという背景もあり、社会や政治への不満や反抗を歌ったもの、さらに暮らしの貧しさや、人生を歌っている内容の曲が多いのです。
また、レゲエは2018年、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。
僕の好きなボブさんのLIVE動画です!
↓時間があったら視聴してみてね!↓
レゲエの歴史
1962年、ジャマイカ独立を転機に、ミュージシャンたちが自分たちの音楽を探る中で、北米の音楽であるジャズやR&Bなどや、カリブ海の音楽であるカリプソ、メントなどに影響を受けて生まれたのが、裏打ちのリズムが特徴のスカというものでした。そのテンポがスローになり、さらにベースラインが複雑になったロックステディも生まれました。
ロックステディのブームは短く、1968年にはレゲエがその流れを引き継ぐことになります。あらゆる音楽の影響を受けていることで、ごちゃごちゃしていたレゲエは、70年代に入るとルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルを確立していき、その後ボブ・マーリーの登場によりレゲエは一民族音楽の枠を超え、世界に広まりました。
80年代、ジャマイカではダンスホールレゲエと呼ばれるリディムに乗せて『Dee Jay』するスタイルが一般的になります。そして1985年にプリンス・ジャミーが発表したリディム「Sleng Teng」からレゲエのデジタル化が始まりました。
↓「Sleng Teng」の音源はこちら↓
レゲエとラスタファリの関係
ジャマイカ発祥の宗教であるラスタファリは、ラスタと略称で呼ばれることがほとんどで、正式にはラスタファリ運動と言います。
ラスタファリは菜食主義、ドレッド、ガンジャを聖なるものとしているのが特徴です。人間の体を神殿としている彼らは、体を汚さず神聖な物に保つという理由から、肉や加工品を口にせず、自然から取れるものだけを摂取する生活を送っています。
これってベジタリアンやヴィーガンの原点だよね!?
また、自分の体に刃物を当ててはいけないという独特な教えから、髪やヒゲは伸ばしっぱなしにしています。彼らはその長く伸びた髪を切ることなく短くする為にドレッドヘアーというヘアースタイルを編み出しました。
そして、ジャマイカの祖先達はみな、元々はアフリカにいたと考えるラスタファリに明確な神や教祖はおらず、基本的にアフリカ回帰を主な目的としています。
1910年、多くの黒人たちに尊敬されていたジャマイカのある活動家が、「黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」と口にしました。それから20年後、本当にアフリカに黒人の王が誕生したことで、黒人のアフリカ回帰への期待もおのずと膨らみます。
ラスタファリ運動への熱と共に、それまで世捨て人というイメージが強かったことから、受け入れられにくかったラスタファリの社会的地位が上がり始めた頃、後にレゲエの神様と呼ばれることになるアーティスト、ボブ・マーリーがラスタファリと出会いました。
軍人である白人の父親と、黒人の母親との間に生まれた混血であることにコンプレックスを抱き、白人、黒人、どちらのコミュニティーにもうまく馴染むことができずに幼い頃から悩んで過ごしていた彼にとって、肌の色で人を差別することのないラスタファリはまさに最高の場所だったのです。
そして彼は自分の作る音楽に、ラスタファリの教えを色濃く反映させるようになり、その音楽は立て続けに大ヒットします。世界的スターになった彼は、ラスタファリの象徴とも言える偉大な存在となり、彼の活躍は更にラスタファリ運動の熱を熱くさせました。
しかし1981年、悪性腫瘍により彼が亡くなったことをきっかけに、ラスタファリの熱は急激に冷めてしまい、いかに彼がラスタファリにとって重要な存在だったかを証明することとなりました。
その後ボブ・マーリーの意思を継ぐ数々のアーティストが現れ、その結果1990年代にラスタファリ運動は再び活発化し、現代もその灯火は消える事なく受け継がれています。
レゲエがユネスコ無形文化遺産に!?
ジャマイカは1960年代に同国キングストンで生まれた音楽であるレゲエについて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から永続的に保護が受けられるよう「無形文化遺産」への登録を申請しました。
不平等、抵抗、愛や人類のあらゆる問題における国際的な貢献は、知的かつ社会政治的で、レゲエの持つ要素の力は、社会的な主張や情緒を解放するための手段として全人類の声であり続けるとの評価を受け、およそ40に及ぶ申請の中から、審議の末、日本の来訪神などと共に2018年11月29日、無形文化遺産に登録されました。
今回のレゲエの世界遺産への登録は、ボブ・マーリーやグレゴリー・アイザックスなど、偉大なアーティストたちの功績によるもので、ジャマイカの文部大臣であるオリビア・グレンジは、「私たちの作り上げた音楽が世界のあらゆる曲がり角を繋げていった」と表現したそうです。
音楽やダンス、演劇など、様々な文化を世界遺産に登録しているユネスコですが、ほとんどが発祥した国以外に知られていないのが現状なのだとか。そんな中、今や時代を越え、様々な人種や性別、宗教が混在する世界中の社会で受け入れられているレゲエが、文化遺産として登録されたことは当然の結果と言えるのではないでしょうか。
まとめ
レゲエといえば、お日さまの光がギラギラした南国のイメージで、どちらかと言えば明るく楽しい音楽という印象でしたが、その特徴や歴史を知ると、レゲエは単なる流行から生まれた音楽ジャンルではなく、時代や国の現状を背景にし、ジャマイカだからこそ生まれた音楽であり、訴えかける強いメッセージがあったからこそ世界中に共鳴が広がったという、実に奥が深い音楽であることがよくわかりました。
その背景にあったのは人種差別や貧しさというネガティブな要素でしたが、その中を生き抜いてきたジャマイカの人たちが生んだレゲエは、とてもポジティブであたたかいものです。
レゲエは多くのジャマイカ人たちの大切な娯楽であると同時に、心を通わせる表現の場でもあったのです!!
以上、
『レゲエの歴史・ルーツって知ってる?無形文化遺産に登録って凄くね?!』
をお届けしました。