レゲエの神様-ボブ・マーリーの名曲や世界で活躍する子供達を完全紹介!!

Bob Marleyの世界へようこそ!

ボブ・マーリー(Bob Marley)という名前は多くの人が知っていて、特に音楽が好きな人なら、ロックやレゲエなど、彼の名がそのまま歌詞に登場する楽曲にであったことがありませんか?それは日本のアーティストでも例外ではありません。それだけで十分彼が偉大な人物であることは理解できますが、実のところ彼がどんな人物であったのかを知らない人は多いのでは?

そこで今回は、レゲエの神様、魂の反逆者、叫ぶ平和の使者など、あらゆる呼び名を持つ彼が一体どんな人だったのか、生い立ちや彼の残した名曲などを交えながら紐解いていきたいと思います!

ぜひ最後まで読んで下さいね(^ ^)

ボブ・マーリー(Bob Marley) プロフィール

 

ボブ・マーリー(本名:ロバート・ネスタ・マーリー)は1945年2月6日、イギリス軍人の61歳の父親と18歳のジャマイカ人の母親の間に生まれました。その頃すでに両親は別居しており、父親と彼の間には血のつながりはあるものの、実際の親子としての関係はほぼなかったのだとか。貧しい黒人を白人が支配する時代だったことから、彼は幼少期、混血であることに苦しみながら過ごします。

そんな中教会に通ってゴスペルに触れ、祖父からギターやオルガンを教わることで自然と音楽を好きになり、苦しみから救われることになります。そして音楽に専念しようと14歳で学校を中退、それから3年後の1962年、17歳でデビューしたものの、彼の音楽はまったく売れず、生活苦でホームレスを体験したこともありました。

しかし、30歳になった1974年、彼の「アイ・ショット・ザ・シェリフ」という楽曲をソロ活動を始めたばかりのエリック・クラプトンがカバーし、そのアルバムが全米1位を獲得したことでボブ・マーリーの名が世界中に知られることになります。

そして翌年に発売された「ノー・ウーマン・ノー・クライ」が世界的に大ヒット、「第三世界を代表するスーパースター」と呼ばれるほどの存在になります。

1976年のジャマイカは二大政党において資本主義と社会主義体制の対立がひどく、一部では内乱のような状態にまで陥っていました。彼は音楽の力でジャマイカに平和を取り戻そうと、「スマイル・ジャマイカ・コンサート」を計画。ところがそのせいで二大政党の抗争に巻き込まれることとなり、狙撃されて重傷を負ってしまいます。やむなくボブ・マーリーはイギリスへ亡命。

 

それから2年後の1978年、彼は再びジャマイカに戻り、「One Love Peace Concert」を開催。

ここで彼は観客として来ていた敵対する二大政党のトップたちをステージに上げ、和解の握手をさせるというとんでもない偉業を成し遂げ、ジャマイカ内乱を終結させました。ジャマイカで生まれた宗教的思想運動であるラスタファリ運動の考え方をバックにした彼の生み出す音楽や思想が政治を動かし、歴史を変えたのです。

しかしその後ボブは脳腫瘍を患い1981年 5月11日、36歳という若さでアメリカ・フロリダ州の病院で息を引き取りました。

ボブ・マーリーの名曲3選

 

ボブ・マーリーの音楽を聴くと、なんだか心が落ち着き、旅に出たくなるのは私だけでしょうか?

浜辺でボケ〜っとしながらボブさんの曲を聴く。

私が特に好きな3曲を紹介します!

One Love

1977年に歌われた楽曲で、ゆったりとしたリズムで軽快で温かい雰囲気ですが、明るい曲調とは裏腹に、罪を犯した人たちに手を差し伸べるような、軽いだけではない内容です。

居場所が見つからず孤独を感じている全ての人たちに、独りにならなくていいと呼びかけ、独りにしないようにと周りに語りかけているこの歌は、のちにさまざまな人たちに歌われ、メッセージ性の強さからゴスペル隊をはじめ、人種を問わず愛され続けています。

No Woman, No Cry

1974年に発売されたアルバム『ナッティ・ドレッド』に収録された楽曲で、彼の楽曲の中で最も有名と言っても過言ではない作品。
世界的に愛されている名曲で、彼の曲をあまり知らない人でも一度は耳にする機会があったのではないでしょうか。

どこか切なげなメロディーと歌声がうまくマッチし、仲間の大切さや故郷への想いを歌った歌詞も含め、ボブ・マーリーらしさを形にしたような作品となっています。
ライブ音源ならではのオーディエンスによる大合唱もとても心地よく感じられます。

Three Little Birds

1977年リリースのアルバム『エクソダス』に収録され、ウィル・スミス主演の映画『アイ・アム・レジェンド』でも使われた名曲。

特に注目すべきはその歌詞で、悩みを抱えている人の背中を押してくれるような優しさ溢れる心温まるメッセージに世界中でたくさんの人が魅了されています。

「Don’t worry about a thing Cause every little thing gonna be alright」という歌詞を和訳すると「何ひとつ気に病むことはない どんなことだってきっと上手くいく」となり、前進するエネルギーを与えてくれます。結婚式に使われたり、多くのアーティストがカバーしたりと、この楽曲が愛されている証はたくさん残っています。

ボブ・マーリーの子供達

 

36歳という若さで短い人生を終えたボブ・マーリーには、妻以外に6人の女性がいて、合わせて11人の子供を儲けました。

さすが伝説の人・・・ここも規格外!!

バンドでコーラスとして参加することになるリタと21歳でできちゃった結婚をしたボブは、27歳の頃世界的スターになると、ミス・ジャマイカや、ガボン共和国大統領の娘など、有名な女性たちを含む6人と立て続けに関係を持ちます。

ボブの11人の子供のうち、リタとの子がセデラ、ジギー、スティーヴンの3人、リタと他の男性との子供が2人、そしてボブが愛人たちに産ませた子供達が6人。子供たちはみんなとても仲が良いそうです。そして孫は36人もいるのだとか。

ちなみに11人の子供たちの中で歌っているのは7人も居るそうですよ〜

サッカーチームが作れちゃいますね!

シャロン・マーリー・ブレンダーガスト(Sharon Marley Prendergast

 

リタの連れ子で現ボブ・マーリー・ミュージアム館長及びメロディメーカーズのメンバー。

アフリカ国籍のブレンダーガスト氏と結婚し、ボブの子供達の中でただ一人の既婚者。

セデラ・マーリー(Cedella Marley)

 

1967年生まれの、ボブの最初の子である彼女は、メロディーメーカーズのメンバーで、のちにタフゴング社長になります。

ダンスが上手く、おしゃれで絵やファッションデザインの才能もある魅力ある現代女性。

デヴィッド″ジギー″マーリー(Ziggy Marley)

1968年、リタとの間に長男として生まれた彼は、デヴィッド・ボウイが好きでジギーというニックネームがついています。

レゲエではなくポップ・ミュージックへと向かい、妹のセデラ、弟のスティーヴン、異母姉妹のシャロンと共に1985~2003年までジギー・マーリー&メロディ・メイカーズとして活動し、リードボーカルを務めました。

上の動画はシングル「Tomorrow People」とういう曲で、この曲が大ヒットしグラミー賞を初受賞した。

スティーヴン・マーリー(Stephen・marley)

1974年に生まれたリタとの間にできた次男。

メロディ・メイカーズの一員でありながら、プロデューサー業にも携わっており、アーティスト活動を早くからしていたにも関わらず裏方の仕事に専念していたせいで自身のタイトル作品がありませんでしたが、初のアルバム「Mind Control」、次作「Mind Control -Acoustic」がグラミー連覇を成し遂げます。

ジュリアン・マーリー(Julian-Marley)

 

1975年、ボブと白人女性との間に生まれ、のちにシンガーとなります。

端正な顔立ちでありながら、野太い声というギャップの持ち主で、ロック、ジャズ、ブルースなどを取り込んだ音楽が魅力。

気さくな性格でサインや写真などにも気軽に応じてくれるのだとか。

ローハン・マーリー(Rohan Marley)

 

前アメリカン・フットボール選手であり企業家でもある彼は、有名R&B歌手のローリン・ヒルと交際していた過去があり、彼女の息子ザイオンの父親である事実により有名になってしまいます。

レコードを出したことはあるものの、現在音楽活動はしていません。

性格はジョークが好きで楽しい人なのだとか。

カレン・マーリー

 

マーリー家で一番の美女。英国在住。

ステファニー・マーリー(Stephanie Marley)

 

ボブの子供ではなく、リタと当時家族が住んでいたブルベイのサッカー選手との子。

不動産業などファミリービジネスをこなし、ボブ・マーリー・ミュージアムの中にドレッドヘア専用の美容室を出店しました。

キマーニ・マーリー(Ky-Mani Marley)

 

ボブとジャマイカの一流卓球選手の間に生まれた子。

マイアミで育ち、スポーツに夢中になっていた彼は母親に勧められて音楽の道へ進み、メジャー・デビューを果たします。すぐに才能を開花させ、ボブそっくりな歌声で注目を集めた彼は、幼い頃の父への手紙を元にした「Dear Dad」で、全英レゲエ・チャートの1位を獲得。

映画で俳優活動も行う多彩な才能を持つ人物です。

 

↓↓「Dear Dad」動画↓↓

ロバート・ネスタ・マーリー・Jr(Robert Nesta Marley Jr)

 

ボブの本名でリタをはじめファミリーたちを騒然とさせた名前の持ち主。

ボブのブルベイの家は彼の持ち物となっています。

ダミアン・マーリー(Damian Marley)

 

1978年に、1976年のミス・ワールドとボブの間に生まれた子供。

一番年下の彼もまた子供の頃から歌が好きでジュニア・ゴングの芸名でアルバムも発表しています。

DJとラップが上手なアイドル系で、2005年、アルバム「Welcome To Jamrock」はアメリカでゴールドディスクを獲得。2010年に発表されたナズとのコラボレーションアルバム「Distant Relatives」も高く評価され、その中からは、大ヒット曲「As We Enter」が生まれます。

ボブ・マーリー 映画 『ルーツ・オブ・レジェンド』

↓↓映画『ルーツ・オブ・レジェンド』予告動画↓↓

 

2012年公開のこの映画では、家族や友人、バンドメンバーやボブを知る女性たちのインタビューやたくさんの歌詞や曲、ライブ映像などから、人間ボブ・マーリーの素顔が赤裸々に描かれています。

当時、重大な政争が繰り広げられていたジャマイカで、ステージ上に二大政党の党首を上げて握手させたOne Love Peace Concert。

彼だからこそ成し得た歴史に残るこの行動の背景に迫り、たくさんの女性に愛された一面や、幼い頃から混血であるがゆえに人種的なコンプレックスを持ちながらもその逆境に立ち向かった真実など、これまで明かされることのなかったエピソードが多数描かれており、未発表音源や未公開映像も織り交ぜられた、ボブのルーツを探る作品となっています。

まとめ

レゲエ=LOVE &PEACEというイメージを定着させた偉大なミュージシャン、ボブ・マーリー。

現在でもその存在はぼやけることなくその輪郭をはっきりと保っています。彼ほど音楽というツールを最大限に活かしたアーティストは他にはいないのではないでしょうか。

平和を愛し、自由に生きた彼のメッセージは多くの人の心を救い、動かしました。

「音楽は世界を救う。」

音楽好きな人の中にはそんな願いにも似た漠然とした感情を持ったことがある人は多いと思います。ボブ・マーリーはそれが夢物語ではないことを証明した数少ないアーティストだったのですね。

 

以上、
レゲエの神様-ボブ・マーリーの名曲や世界で活躍する子供達を完全紹介!!について
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