『ボヘミアン・ラプソディ』映画の感想やあらすじ!評判は?

どーもー!

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今回も外出自粛の為、FOD(フジテレビオンデマンド)で映画を観ました!

今回は2年前(2018年)に世界中で話題となった映画『ボヘミアン・ラプソディ』。

この映画はあの伝説のバンド"Queen(クイーン)"の軌跡とフレディ・マーキュリーの半生を描いた物語で、日本・アメリカ・イギリスで公開されました。

興収は127億円を突破し、国内の音楽・ミュージカル映画の歴代1位である『美女と野獣』の124億円を超えてしまいました!さらに第91回アカデミー賞では5部門にノミネート、観客動員数は700万人超えの大ヒット作です。

著名な人物の半生を描いた作品はいくつかありますが、音楽には多様なジャンルがあり、音楽好きには強いこだわりがあります。好みもハッキリ分かれがちな中、この数字を叩き出したのは奇跡としか言いようがありません!よっぽど内容が濃く、名作だったに違いありませんね!

早速バンドの紹介、あらすじ、感想などをまとめてみました!

映画『ボヘミアンラプソディ』の作品情報

テレビやCMなどで、クイーンの曲を一度は耳にした事がある方も多いと思います。

ですが、バンドの誕生秘話やどのように今の地位に上り詰めて行ったのか、またメンバーの人となりなどは知らない方も多いのではないでしょうか。

頻繁にバラエティ番組などに出演していれば段々とバンドの事がわかり、より身近な存在になっていくと思いますが、私は今迄あまり知る機会がありませんでした。

この作品は、その知らなかった部分に焦点を当てて掘り下げてくれているので、クイーンを知らない人でも作品として楽しめ、ただのミュージックビデオには成り下がりませんでした。

スターならではの光と影も描かれ、仲間や家族との軋轢や挫折、またその先に絆が誕生し、再びエンターテイナーとして返り咲く場面は感動と尊敬を覚えました!

人の心に響く歌声を届けられる、フレディの生き様にも注目です!

Queen(クイーン)、メンバー紹介

クイーン (Queen) は1970年に結成され、ブライアン・メイ(ギター)、フレディ・マーキュリー(ボーカル)、ジョン・ディーコン(ベース)、ロジャー・テイラー(ドラム)の男性4人からなるロックバンドです。

出身は、マーキュリーがペルシャ系インド人の両親の下に、タンザニアのザンジバルシティで生まれ、他のメンバーはイギリス出身です。

サウンドの特徴は、シンセサイザーを用いずにギターをダビングして作る「ギター・オーケストレーション」と、マーキュリー、メイ、テイラーの3人のコーラスが多く取り入れられています。全体的に音に厚みを持たせているのが特徴的です。

また、全メンバーが作詞作曲出来るので、音楽性に幅があるのが利点となっています。

これまでに15枚のスタジオ・アルバムを世に送り出し、アルバム・シングルは1億7千万枚〜2億枚もの売上になりました!

ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」で第3位にランクインしました。

2002年のギネス・ワールド・レコーズによる「英国史上最高のシングルは?」というアンケートではジョン・レノン、ビートルズを抑えて「ボヘミアン・ラプソディ」が第1位に選ばれました。

更にクイーンのアルバムは2005年時点で、全英アルバムチャートで27年間チャートインしています。これはあのエルヴィス・プレスリーやビートルズをおよそ200週上回って記録を塗り替えています。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』 あらすじ

厳格な父と自由な息子

時は1970年のロンドンで、ゾロアスター教徒の父を持つ、音楽好きの青年ファルーク・バルサラはライブハウスに通いつめていました。

そんな息子を見た父は「善を思い、善を語り、善を成す。これらの徳を目指すべきた。」と息子に諭しますが、息子は「父さんは徳のお陰で成功したの?」と言い返し、ライブハウスへ行ってしまいます。

ファルークは「スマイル」というお気に入りのバンドがいました。ボーカルが脱退したばかりだったので、そのバンドに自分も入れてもらおうと声をかけます。

しかし「その歯じゃ無理だ」と言われたので、その場で自慢の歌声を披露し「生まれつき前歯が4本多いんだ。口の中が広いから音域がある。バンドに入ってもいいよ」と言い、加入する事に。

クイーンの誕生!

1970年7月からバンド名を「クイーン」と改名します。ついでに自分の名前も「フレディ・マーキュリー」と改名。

父は「改名しても成功しないぞ!」と水をさします

しかし、バンを売ってレコーディングしたデモテープをEMIの人が聞き、当時エルトン・ジョンの担当者のジョン・リードに聞かせ、メジャーデビューの電話が来ます!

「その辺のロックスターを目指す人とクイーンの違いは?」

と尋ねられ、フレディは「世間からはみ出た個性バラバラな4人が、世間のはみ出し者に音楽を奏でる。居場所が無くて部屋の隅っこにいるような奴らに曲を捧げる。そういうバンドです」と答えました。

その後アメリカツアーが決まり、ジョンに「ヒット曲が欲しい」と言われ「ボヘミアン・ラプソディ」を勧めます。ところが、「3分を超える曲はラジオでかけてもらえない」と却下されてしまいました。

しかしフレディは一歩も引かず、「これはバンドの意志だ。でなきゃ辞める。あんたは記憶される。クイーンを失った男として」と立ち去ります。

そしてフレディはラジオ局に直接テープを持ち込み、理由を説明すると、かけてもらえる事に!結果的に曲は大ヒットし、またツアーが始まります。

楽しいレコーディング

その後時代の流れでディスコミュージックを取り入れることになりますが、ロジャーは「らしくない」と受け入れられません。

メンバーで揉めている時に、ジョンがその曲を弾いてみました。皆「いい曲になる」と確信し、各パートを練習する事にしました(笑)。

ゲイをカミングアウト!

フレディにはメアリーという彼女がいましたが、この頃からマネージャーのポール・プレンターに恋心が芽生えていたのです!

そしてフレディはジェリーにゲイをカミングアウトしますが、メアリーには「ずっとそばにいてほしい」とも言い、その後も友人として付き合いを続けます。

しかし、ポールはフレディとお金目当てで付き合っていました。ポールと付き合ってからフレディの生活は荒れて行きます…

ポールはフレディがゲイな事をマスコミにリークしたり、ソロになるように勧めたりしたので、フレディは仲間とも上手く行かなくなり、孤独になってしまいます。

寂しさを埋めようとパーティーを開いたり、メアリーに度々電話したりしますが、メアリーにも彼氏が出来てしまいます。

更にエイズに感染している事が発覚!!

映画『ボヘミアン・ラプソディ』 ネタバレ

ポールと破局!

その後ライブ・エイドというイベントの話が来ます。

それは10億人が見るチャリティーイベントでした。しかしポールは勝手にその話を断り、メアリーの電話も取り次ぎませんでした。

怒ったフレディはポールをクビにします。そしてクイーンのメンバーに今迄の行いを謝罪し仲直り!一緒にライブ・エイドに出る事になります。

その後エイズを告白し、「頼むから哀れんだりするな。今の自分に犠牲者でいる時間は無い。生き方は決める。本来の自分らしく駆け抜けてやる」と言うと

メンバーは「お前は伝説だ」と言い、フレディは「4人が伝説だ」と答えました。

それからフレディは家でも発声練習をします。

それを見ていた猫に「何見てるんだ?自分の方が上手いって?批評家気取りが!」と美川憲一さんのように言い放ちました(笑)。

父との和解

フレディは実家に帰り、「アフリカで飢えに苦しむ子のために、全員がノーギャラで参加する」とライブ・エイドの事を知らせ、「善を思い、善を語り、善を成す。どれも父さんから教わった」と伝えると、父が感動して抱きついて来ました。そして父が「テレビをつけよう」と家族に言います。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』 見どころ

みどころはやっぱり、曲作りやレコーディングの場面ではないかと思います。

今迄なんとなく聞き流していたあの曲が、こんなに工夫されて出来ていたんだ!とか、『ウィ・ウィル・ロック・ユー』の足踏みと手拍子が、ドラムのテイラーのひらめきから生まれたものだった事など、目からウロコでした!

「次の曲はディスコミュージックで」と要望があり、「らしくない」と渋っていたメンバーが、ベースのディーコンが弾き出すと「いいね」と言いながら演奏し始める場面など、結局自分達のものにしてしまう所が、やっぱりプロは違うな〜と思いました!

感想とまとめ

まず、当時流行っていたロカビリー調の「愛という名の欲望」(1979年)がクイーンの曲だとは知りませんでした!

↓↓こちらがその曲↓↓

初めて聞いたのがブライアン・セッツァーがカバーした物だったので、私はてっきり、もっと昔の人の曲だと思っていました。

ホントバラエティ豊富ですね〜!

様々なジャンルに臆する事なく挑戦し続けられるのは、このバンドの強みですね。

そして何より、元気で明るくて勢いがあるけど、本当は寂しがりやなマーキュリーがかわいくて、すっかりファンになってしまいました。

それにクイーンの曲を聞いていると元気になれそうですね!そういえば映画の中で言っていましたね。"居場所が無くて部屋の片隅にいるような奴らに曲を捧げる"って、人気の秘訣はそこなのかもと思いました。

誰しも生きていれば挫折する時はあると思います。フレディは父と折り合いが悪かったり、自身がゲイである事に気付いてしまい、その後エイズにかかってしまうなど挫折の連続でした。

そういう気持ちを知っているからこそ、名曲が生まれたんだなーと思いました。

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