1990年代後半、突如裏原宿に現れた猿が瞬く間に世界中を巻き込んで大ブームをもたらしたことをご存知ですか?
その現象を仕掛けたのは、当時ファッション界のカリスマと崇められていたクリエイターの藤原ヒロシさんをリスペクトし、顔や格好がどことなく似ていたことで「藤原ヒロシ2号」と呼ばれ、その2号をNIGOと変換し、自身に名付けた一人の男性でした。
ブランドが始まってから瞬く間に成長を遂げたA BATHING APE(アベイシングエイプ)とは、一体どんなブランドなのか、その特徴や歴史についてお届けしたいと思います。
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A BATHING APE基本情報
90年代に流行したストリートファッションの中心的存在だったA BATHING APEは、スタイリスト兼ライターとして「ホットドッグ・プレス」や「POPEYE」といった雑誌で活動し、若者たちのファッションリーダーとしても注目されていたNIGO氏が作ったブランドで、アメカジを基本にして、ストリート色を強めた商品が特徴です。
創立者であるNIGO氏が映画「猿の惑星」のファンで、その世界観に刺激を受けたことから生まれたエイプヘッドと呼ばれる猿の顔と、迷彩パターンに猿の顔を紛れ込ませたエイプカモはこのブランドの象徴で、これらがプリントされたTシャツやパーカーはとても人気の高いアイテムで、特にNIGO氏自身が着用したアイテムは軒並み即日完売という人気ぶりでした。
A BATHING APEの歴史
NIGO氏が、出身校の文化服装学院の仲間であり、UNDERCOVERというブランドのデザインを担当していた高橋盾氏と一緒に原宿でNOWHEREというショップを始めます。
そのショップでは雑誌の連載にリンクした商品を買い付け、販売していました。
けれど似たようなセレクトショップが周辺に増えてきたことで、その中で自身の店を際立たせるため、独自色を出すべく、デザインTシャツを作って売り出すことになり、これが人気となったことがきっかけで1993年に立ち上げられたブランドがA BATHING APEです。
1996年頃裏原宿ブームが起こり、おのずとA BATHING APEも注目されました。
1998年に、当時人気絶頂で若者たちのファッションアイコンだった木村拓哉さんがCMでA BATHING APEのアイテムを着用したことにより、人気が爆発的に全国に広がります。
1999年、2頭身のキュートなお猿さんのキャラクター、ベイビーマイロが誕生。これは「新・猿の惑星」で、チンパンジー夫婦の間に生まれたマイロから取られたそう。
2000年に青山に店舗を移転。
2001年にレディースラインの取り扱いが開始。
2010年、カリスマ読者モデルの月本えりさんがディレクターに就任。
2011年にレディースラインが終了。
同年香港の大手衣料小売店に買収されます。
2012年、新体制に変わり、比較的価格の低いヤングラインのAAPE BY A BATHING APEを設立、原宿の店舗オープンと共にインターネット通販も開始。
2013年、買収後もディレクターを続けていたNIGO氏が退任。
現在ではメンズだけでなく、レディースやキッズライン、アイウェアまで幅広い商品が取り揃えられ、アメカジならではのモチーフを、エイプヘッドの周りにブランド名をアーチ状に入れるというアレンジでA BATHING APEらしさを出したカレッジロゴ、スーパーマンのSマークをBAに変えたスーパーマンモチーフロゴ、デニムブランドのWrangler からインスピレーションを受けた、デニムに刺繍されたチャンピオンロゴなど、さまざまなロゴが展開されています。
A BATHING APEがコラボしたブランドは?
同じストリート系ファッションブランドとして人気を分かつNEIGHBORHOOD、SUPREME、Stussyはもちろんのこと、多数のブランドとコラボしてきたA BATHING APE。
スポーツブランドのadidasとのコラボでは、A BATHING APEのカモフラージュ柄にadidasのスリーストライプスという完璧なマッチングのトラックジャケットやA BATHING APEならではのフルジップのディテールを取り入れたオーバーサイズのダウンジャケットなど、 シューズメーカーのアシックスタイガーとはベイプカモをミッドソールにあしらうなど、遊び心満載の高機能ランニングシューズが作られました。
イギリスのブーツブランド、ドクターマーチンとのコラボは、レザーにエンボス加工でエイプカモが施されたり、スターマークがあしらわれるなど、A BATHING APEの象徴と、スチールトウやゴールドアイレットなど、ドクターマーチンの象徴がバランスよく取り入れられたさすがのかっこよさを見せつけてくれました。
ドイツのブランド、MCMとはカモ柄とMCMのロゴやモノグラムがあしらわれたトラックジャケットやトラックパンツ、MCMトーンのベイビーマイロをフロントに落とし込んだスウェットシャツ、モノグラムのバックパックにシャークやアニマルモチーフというインパクトのあるコラボが実現しました。
この他にも、NIGO氏の人脈の広さとブランドの信頼により、A BATHING APEは多くのブランド、人、スポーツチーム、キャラクターなど、幅広いコラボレーションを実現し、楽しませてくれています。
A BATHING APEを愛用する芸能人
DJとしても活動していたNIGO氏はミュージシャンとの交流の中で、A BATHING APEの名義でコーネリアスやスチャダラパー等のツアーTシャツを手がけ、ブランドの名は多くの人に知られることになりました。しかし特にこのブランドの存在に影響を与えた芸能人と言えば木村拓哉さん。
1998年、A BATHING APEのカモ柄のスノボジャケットを彼がオロナミンCのCMで着用したことでA BATHING APEは一気にストリートファッションの頂点にのぼりつめました。
その後1997年に高視聴率を記録した月9ドラマ、「ラブジェネレーション」で着用していた赤のチェックシャツは「ラブジェネチェック」と名付けられ、A BATHING APEの代表的なアイテムとなります。
そして、なんと言っても2001年から放送されていた月9ドラマ「HERO」で着ていたクラシック ダウン ジャケットは、アイテムと木村拓哉さんがイコールで繋がるほどの代名詞とも言えるものになり、多くの男性が買い求めました。このジャケットはもともと冬場の撮影時に防寒のために着ていた私物だったんだそうです。
これらの商品は言うまでもなくとんでもない高値で取り引きされることになり、A BATHING APEは木村拓哉さんがこれまで着用してきたブランドの中で代表的な存在となりました。
さらに、木村拓哉さんと言えば、次女のKoki,さんが、A BATHING APEがCOACHとコラボしたコレクション「A BATHING APE(R) x Coach」のカタログにモデルとして起用され、Tシャツに黒いミニスカートというカジュアルなコーデで堂々たる存在感を発揮しています。
この他にも、A BATHING APEを愛用している芸能人として有名なのが志村けんさん。とてもお似合いになっていて、おしゃれなおじさんという印象でした。
最近では大島優子さんや赤西仁さん、俳優の野村周平さんやディーンフジオカさん、モデルの木下優樹菜さん、アーティストのG-DRAGONさんなど、現在もたくさんの芸能人に愛されています。
志村けんエイプ着てたなぁ
RIPシムケンだけど肉体が死んだ後も続きがある。
だいじょうぶだぁ pic.twitter.com/6VNptCJnq6— GAIA FORCE TV ღ (@GAIAFORCETV) March 30, 2020
A BATHING APEはダサい?時代遅れ?
A BATHING APEが大流行したのは1990年代。
20年近く経った今、A BATHING APEはダサいと言う人や時代遅れと言う人がいるのも事実です。
大きなムーブメントが起こると、商品の本当の魅力そっちのけでブランドの名の付くアイテムを手にしていれば安心という人たちが出てきます。そういう人たちはやがて満足して次の新しい物を探します。
その結果、流行が落ち着いたものに対してダサいとか時代遅れなどと言うようになるんじゃないかと想像します。
確かに、NIGO氏が退任したことで、A BATHING APEは終わったように感じる人もいると思います。
しかし、最近では多数の海外メンズがA BATHING APEを支持し、SNSにコーデを投稿したことで再び注目されるようになり、日本の芸能界でもおしゃれに敏感な人たちが着用していることが A BATHING APEは時代遅れでもダサくもないという一つの証明になっているのではないでしょうか。
まとめ
A BATHING APEが時代遅れと言う人も中にはいるようですが、特徴的なエイプヘッドや完璧に計算し尽くされたカモフラージュ柄はいつの時代も視線を集めます。
日本ではあまり見なくなったA BATHING APEのアイテムが海外のファンたちによって逆輸入のように再び日本でも注目されつつある今、もしかしたらそこにもNIGO氏の緻密な計算が隠されていたのではないかとすら感じるほどに、A BATHING APEの勢いはすさまじいものでした。
NIGO氏のファッションにかける情熱と、ストリートの程よい緩さがバランス良く共存していたからこそ、A BATHING APEの一大ブームは起こったのかもしれません。