『ジャパニーズレゲエ』
略して『ジャパレゲ!!』
この記事を読んでるということは、ジャパレゲが大好きですよね〜 間違いない!!
日本の音楽シーンにおいても、今や実にさまざまなジャンルの音楽が日々リリースされていますが、その中でもブラックミュージックであるレゲエはすでに何十年も前に定番のジャンルとして愛されていますよね!
しかし、元々は遠くジャマイカで人々の声となっていた音楽であるレゲエが、どのようにして日本にジャパニーズレゲエというジャンルを生み出すまでに至ったのでしょうか。
気になりません?
私は気になってしまいました…
なので今回は日本でも耳にすっかり馴染んだレゲエについて、ジャパレゲの歴史と原点となった日本人アーティストたちの紹介などしていきます!
Contents
ジャパニーズレゲエの始まりは?
1980年代、高校生でレゲエに出会ったNAHKI(ナーキ)という一人の男性が、大学在学中から、バンドを組んでレゲエアーティストとして活動していました。
卒業後就職し、サラリーマンになった彼は、就職先である「ぴあ」で取材を通し、ジャマイカから来日した歌手であり音楽プロデューサー、サウンドシステム運営者、そしてダンスホールレゲエの創始者の一人でもあるシュガー・マイノットと一緒に歌う機会を得ます。
そして1985年、彼を訪ねて初めて単身ジャマイカに渡りました。
人種、性別、国を越え、平等を歌う歌詞にも感銘を受けた彼は、もともと英語が得意であったこともあり、ジャマイカの公用語でありレゲエの言語もである独特な英語、パトワ語を自然に身に付け、レゲエディージェイとなります。
88年、リリースしたシングルが、ニューヨークのインディー系チャートにランクインしたことで、ニューヨークを拠点に全米のライヴに精力的に参加。本場ジャマイカの「レゲエ・サンスプラッシュ」、「SNG」などの大規模なイベントにも出演を果たした彼は、日本最大級のレゲエ・イベント「レゲエ・ジャパン・サンスプラッシュ」にも毎年出演。
鹿島アントラーズのチームソングやNHK「みんなのうた」への楽曲参加で、日本でもファン層を広げ、96年にはダイアナ・キングとのコラボシングル「I'LL DO IT」が大きな話題となりました。
日本にレゲエを持ち込んだと言っても過言ではない彼は、その後もニューヨークを拠点に、ジャマイカと日本をレゲエで結んでいます。
↓「I'LL DO IT」動画↓
ジャパレゲの第一人者、ランキン・タクシー
パトワ語を用いてレゲエディージェイをしているNAHKIさんに対し、日本語でレゲエを歌い始めたのがRankin Taxi(ランキン・タクシー)さん。
彼がジャパレゲを誕生させた偉大な人物なんです!
このイケイケなおじさんね笑
ランキンさんは30歳を過ぎた1983年、ジャマイカで開催されたフェスを見てレゲエの世界にどっぷりハマり、日本に戻ると、大学卒業後から勤務していた建設会社で働きながらクラブでレゲエディージェイを始めます。その頃、まだ日本語でレゲエをする文化は無かった様です。
ランキンさんが日本語でレゲエを歌うようになり、「ジャパレゲ」が始まることとなります。彼はタクシー・ハイファイというサウンド・システム・クルーを結成。さらにレーベルを立ち上げ、積極的にアーティストの作品をリリースし、若手アーティストも育ててきました。
彼自身も1991年にメジャーデビューを果たしています。
ランキンさんがジャマイカに行き、レゲエディージェイを始め、日本語で歌わなければ、ジャパレゲの文化はなかったかも知れないと言われるほど、彼は偉大な存在として語り継がれています。
レゲエで本場ジャマイカで活躍した日本人
Mighty Crown(マイティー・クラウン)は日本の中でいち早くダンスホールレゲエの文化が根付いていた横浜で1991年に結成。1992年から1994年頃まで海外でメンバーが入れ替わりで活動を続け、今ではレゲエの本場、ジャマイカでも高い評価を受けていますよね。
本格的に海外で活動を始めたのは1999年。
ニューヨークで行われた「World Clash ’99」で世界チャンピオンに輝いたことで、一気にレゲエアーティストとしての地位が高まり、オファーが世界各国から来るように。2000年代半ばからは大規模なワールドツアーも行い、レゲエの本場、ジャマイカでも公演を行うほどの世界的な存在になりました。
「World Clash」では日本代表として何度も並み居る強豪を下し勝利。他にも世界レベルの大会を制して得たトロフィーの数は20を超えるそうです!凄いですよね。
あまり日本ではメディアで取り上げられないのが残念な感じですが、彼らの快挙はとんでもない才能と努力、そしてレゲエへの情熱で得たもので、日本の誇りであることは間違いないですね!
ジャパニーズレゲエ 好きなアーティスト(男性編)
ここからは僕の好きなジャパレゲアーティストをミーハー丸出しで紹介します!(笑)
湘南乃風
↑青春を生きてるって感じ↑
ジャパニーズレゲエをポピュラーな存在にし、多くの日本人にレゲエのかっこよさを広めたアーティストと言えば湘南乃風。
コアなレゲエファンからは「レゲエじゃない」なんて言われてますが・・・何となくわかる様な…
でも私は好きです。
楽曲のクオリティの高さもさることながら、彼らの一番の魅力として情熱的なライブパフォーマンスがカッコイイですよね!
MCでの熱い言葉と共に、心に響く力強い楽曲でオーディエンスは大熱狂!!
さらに、彼らの楽曲にはメッセージ性の強いものがたくさんあり、そのほとんどが彼らの作詞で、前向きになれたり負けない強さや勇気をもらえる熱い言葉の数々に救われるファンは少なくないと思います。
彼らの楽曲は友達や家族との絆、愛を歌詞に込めて歌ったものが多く、日常の中で多くの人がぶつかる壁や痛みなど、共感できることや背中を押してもらえるようなメッセージが大きな魅力です。
窪塚洋介
↑この曲好きっす!↑
俳優でありながら、レゲエシンガーやビデオ監督、カメラマンとマルチに活躍してる窪塚洋介くん。
1995年、高校生だった窪塚さんは日本テレビ系列で放送されたドラマ「金田一少年の事件簿」で俳優デビューし、その後さまざまな話題作に出演、2001年の主演映画「GO」をはじめ、「ピンポン」、「凶器の桜」など、そのルックスと存在感ある演技で人気実力派実力俳優として広く認知されるようになります。
現在も映画や舞台を中心に俳優として活動する傍ら、レゲエシンガーとしても「卍LINE」の名でクラブなどでライブを行っています。
自分の心に秘めるメッセージを音に乗せ、ダイレクトに伝えていくことで、自身の居場所を感じられるようになったと言う窪塚くん。レゲエミュージシャンとしての活動は、彼にとって楽しみの一つでもあり、バランスを保つための大切なライフワークとなっているようです。
私個人的には、ぶっ飛んだ役をやってる俳優窪塚洋介が好きなんですけどね〜(笑)
三木道三
↑三木道三といえばこの曲↑
1992年頃から奈良、京都を中心に活動していた三木道三は、1993年、大学生の時にジャマイカを訪れたのをきっかけにレゲエの虜になり、日本に戻ると、地元大阪を拠点にレゲエディージェイとして活動を始めます。
キャリアも実力もありながらなかなか注目されることのなかった三木道三ですが、2001年に発売した11枚目のシングル「Lifetime Respect」が彼ならではの等身大のラブソングとして聴く人たちの共感を得て、リクエストがリクエストを呼び、瞬く間に日本のレゲエ史上初のオリコン1位を記録するほどの大ヒットとなりました。
その後2002年に活動を休止し、他のアーティストの作詞、作曲、プロデュースなど、裏方に回り音楽に携わり続け、2014年、「DOZAN11」の名で、活動を再開し、リリースとライブを中心に再びジャパニーズレゲエの普及に貢献しています。
ジャパニーズレゲエ 好きなアーティスト(女性紹介)
MINMI
↑個人的に有りな曲↑
96年頃から出身地である大阪のレゲエやヒップホップのクラブで歌い始めたMINMI。作詞、作曲を自ら手がけ、2002年にリリースした1stシングル「The Perfect Vision」が50万枚を売り上げる快挙。その後アルバムをリリースする度にチャートのトップ5位内を記録する。
自身のプロデュースだけでなく湘南乃風の「睡蓮歌」、加藤ミリヤの「LALALA」等数々の名曲を手がけ、2006年にはシングル「サマータイム!!」が反響を呼び、トリニダード・トバゴの祭典に招待されます。
同年NYで行われたソカアワードで新人賞にノミネートされ、2007年のソカモナーク世界大会では女性第三位を獲得。
2010年に発売した約4年ぶりとなるオリジナルアルバム「MOTHER」はゴールドディスクを獲得しました。また、大型野外フェス「FREEDOM」も主催し、毎年60,000人を動員しています。
様々なジャンルのテイストを織り交ぜたセンスある音楽性と、メッセージ性の高い歌詞、優しい歌声と彼女自身の放つポジティブな空気感で多くの音楽ファンの心をとらえていますよね!
KIRA
↑卍LINEとKIRAのコラボ↑
デビュー前、日本人で初めてマカオ・カジノで歌手としてショーに出演していた経歴を持つKIRA。自身で作詞・作曲、プロデュースを手掛け、2014年にシングル「ナデシコSOUL」でメジャーデビュー。
ハスキーで力強い歌声で定評のある彼女は、2018にリリースした2ndアルバム「NAKED」でR&Bチャート1位、iTunes総合10位を獲得し、その実力を世に知らしめました。
歌唱力だけでなくライブパフォーマンスやファッションへの評価も高く、全国のクラブやライブハウス、毎年開催するディナーショー、小学校でのアコースティックライブや被災地への募金活動、NHK教育テレビ「手話ダンス」のテーマソングを手がけるなど、実に幅広く活躍しています。
lecca
↑名曲でしょ!↑
2000年から首都圏界隈のクラブを中心に音楽活動を開始したlecca。大学卒業後の2002年からニューヨークとカナダのトロントに滞在し、現地のクラブで経験を積み、やがてレゲエに心惹かれ全力を傾けるようになったそうですよ。
2003年に日本へ戻り、再び首都圏のクラブで活動を開始。
2005年にリリースした初のアルバム「烈火」は、HMVのインディーズ部門のレゲエ、スカを対象とした音楽チャートで10位を記録しました。
その後2006年にメジャーデビュー。
2009年にはファーストシングル「For You」が北海道の有線のリクエストチャートで6週間連続1位を記録し、アルバム「BIG POPPER」がオリコンデイリーチャートで5位まで上がり、テレビドラマの主題歌も決定するなど、この年、USENにおいて最も多くのリクエストを受けたアーティストとなりました。
さらに2010年、九州男との2年ぶりの共演となった「TSUBOMI」がUSENのJ-POP総合チャートにおいて発売前に1位を獲得するという異例の快挙を成し遂げています!
まとめ
いかがでしたか?
音楽を聴く人の中にはそれぞれ一番好きな音楽ジャンルが存在すると思います。その中でも、特にレゲエを語る人たちの熱量が高いと感じています。
レゲエを含め、かっこよかったり魅力的な音楽は世界中に数々ありますが、レゲエに魅了される人たちのレゲエに対するリスペクトや愛情の深さが、ここ日本でもレゲエを一時の流行り物ではなく定番の音楽ジャンルとして定着させるに至った大きな理由になっていると感じました。
夏とか関係なしに1年中ジャパレゲを楽しんでみてはいかがですか?
以上、
「ジャパニーズレゲエ(ジャパレゲ)の歴史って知ってる?原点はこの人です」
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