音楽が好きな人はそれぞれに特別な存在のアーティストがいるのではないでしょうか。特にアメリカでは偉大な伝説を残したアーティストが何組も存在します。
1960年代に突如大流行を見せたカウンターカルチャー、ヒッピー文化の象徴とされるバンド、Grateful Deadもそのうちの一つです。彼らの独創的な音楽はヒッピーたちに愛され、さまざまな伝説を残し、解散した今もなお愛され続けています。
今回はそんなGrateful Deadについて詳しく見ていきたいと思います。
Contents
『Grateful Dead』はこんなバンド
Grateful Deadとは?
1960年代、アメリカでヒッピー文化やサイケデリックブームが広がりを見せる中、その象徴ともされたスタイルで絶大な人気を誇ったバンドで、カリフォルニア州パロアルトで1965年に生まれました。
音楽の主流である市場から離れてライブを中心に活動していたため、ヒットチャートとはほぼ無縁だったにも関わらず、30年以上もの長きに渡り毎年のようにスタジアム級の会場でたくさんの観客を動員し続け、アメリカ国内で常にコンサートの年間収益では首位を争うバンドでした。
アメリカを代表する伝説的バンドとなったGrateful Dead は1994年にロックの殿堂入りを果たしています。
名前の由来
Grateful Deadというバンド名の由来は、メンバーのジェリー・ガルシアがブリタニカ辞典を見て思いついたもので、その意味は「亡くなった者を慈善行為として埋葬した人物に感謝の意を示す死者(天使)」なのだそうです。
これは、ある村で埋葬代を残さず亡くなった男を、村のしきたりとして殴り続ける村人たちに対し、持っていた最後のコインを渡して埋葬を頼んだ旅人が、その後出会った若者と共に旅をする中で何度となく危機に直面しながらも、その若者に助けられ、のちにその若者が村で亡くなっていた死者だったことを知るという古代から伝わる民話に基づくものです。
Grateful Deadのメンバー
創立当初は、リーダーであり、ギター、ボーカルを務めるジェリー・ガルシア。同じくギター、ボーカル担当で最年少のボブ・ウェア。キーボード、ボーカル、ハーモニカ担当のロン・ピッグペン・マッカーナン。クラシックのトランペット奏者から転向したベース、ボーカルのフィル・レッシュ。ドラムのビル・クルーツマンというメンバーでした。
その後、1967年にドラムのミッキー・ハートと作詞のロバート・ハンターが参加します。
そして1973年にロン・ピッグペン・マッカーナンが亡くなり、1971年から数年ミッキー・ハートが離れていた他、バンドは何度もメンバーが変わっていますが、バンドの核は30年間ほぼ変わりませんでした。
公式メンバーはこの他に、1968年から1970年までキーボードのトム・コンスタンテン、1971年から1979年まで同じくキーボードを担当していたキース・ゴドショウ、1972から1979年までボーカルで参加していたドナ・ゴドショウ、1979年から1990年までキーボード、ボーカルで参加のブレント・ミドランド、1990年から1995年までキーボード、ボーカルを担当したヴィンス・ウェルニックがいます。
どんな音楽?
Grateful Deadの音楽はサイケデリックロックと呼ばれ、ヒッピーカルチャーやサイケデリックの中心的な存在とされていました。
ブルース、フォーク、カントリー、ブルーグラス、サイケデリック、レゲエ、ロック、ジャズ、スペースロック、インストなど、さまざまなジャンルの音楽を融合したスタイルで、アメリカに定着した音楽をベースにしながらもジャンルの枠を超えた独創的な音楽が彼らの魅力で、ツイン・ギター、ツイン・ドラムといった編成も特徴的でした。
また、Grateful Deadのライブはインストルメンタルのジャム演奏や即興のジャズが持ち味のひとつで、5〜6時間にも及ぶ長丁場のライヴが特徴的でした。
彼らの音楽は基本的にドラッグで気持ち良くなるための長尺曲が多く、その頃は3分ほどでまとめられたポップな音楽が主流であったため、地元のヒッピーを中心とした熱狂的なファン以外には、なかなか理解されなかった側面もあります。
Grateful Dead 名曲3選
Touch Of Grey
1987年に世に出された彼らの唯一であり初めての全米TOP10ヒットとなった楽曲。
Grateful Deadの人気は上がっていましたが、この楽曲によって新たな世代のファンが増え、スタジアム級の会場でのライヴが当たり前になりました。
長い曲が多く、スタジオよりライブ演奏に向いているGrateful Deadですが、Touch Of Greyは彼らにしてはかなり短く、明るい印象の曲となっています。
乾いた軽めのギターの音色が心地よく耳に馴染む楽曲で、Grateful Deadのベーシックともいえるこの曲が世界に認められたことはファンたちにとって大きな出来事でした。
Sugar Magnolia
1970年に発表したキャッチーな楽曲で、ライブではたくさんのファンが踊っているのだそう。
Grateful Deadの歴代コンサートの中で2番目に多く演奏されたと言われている彼らの代表曲のひとつ。
ロバート・ハンター作詞、ボブ・ウィアー作曲で、彼がリード・ボーカルも務めました。
1970年発売のアルバム『American Beauty』に収録され、1972年のアルバム『Europe '72』に時間を縮められて収められたライブ・バージョンはシングルカットされ、ビルボード・Hot 100で91位を記録。
Truckin'
1970年にバンドのメンバーほか19名が麻薬所持で逮捕、起訴された事件をロバート・ハンターが歌詞に織り込んだ楽曲で、ジェリー・ガルシア、フィル・レッシュ、ボブ・ウィアーの3人が作曲を担当、ボブ・ウィアーがリード・ボーカルを務める、ライブでの定番曲。
1970年のアルバム『American Beauty』に収録されたこの曲は、翌年シングルカットされ、時間を短縮し、アレンジが加えられたシングルバージョンはビルボード・Hot 100で64位を記録。
『Grateful Dead』と言えばDancing Bear(デッド・ベア)
Grateful Deadは時を超え、国境を越えて愛されるキャラクターも生み出しました。踊っているような様子からDancing Bear(ダンシング・ベア)と名付けられた色とりどりのクマたち。
Dead Bear(デッド・ベア)とも呼ばれています。
Grateful Deadのサウンドエンジニアを務めていたオウズリー・”ベア”・スタンリー(ニックネームはBear)が選曲したアルバムのアートワークに使われたことがきっかけで、Grateful Deadのマスコットキャラクターとして愛されることになりました。
実はこのクマたちは踊っているのではなく行進しているのだとか。しかし世間からは踊っているクマとして認知され、広まってしまったわけですね。
このカラフルでサイケデリックなクマたちはコアなファンだけでなく、Grateful Deadを知らない若い世代にも愛されるようになりました。
私自身、バンドの存在を知るずっと前からこのクマのファンキーな姿ははっきりと記憶の中にありました。雑貨のお店なんかでよく見かけるものの、このクマがアメリカの伝説的なロックバンドのマスコットキャラクターだということを知らずにいる人はたくさんいるのではないでしょうか。
グレイトフル・デッド伝説の映画『グレイトフル・デッド・ムーヴィー』
Grateful Deadが1976年に発表したこの映画は、サンフランシスコのウィンターランドで1974年に5日間に渡って行われた彼らのライヴ・ステージを中心として描かれた作品です。
映像はライブパフォーマンスが9割ほどを占めていますが、Grateful Deadらしさを感じることができる冒頭のアニメーション映像や、彼らが生み出した無数のスピーカーが積み上げられたサウンドシステム、「ウォール・オブ・サウンド」を作っていくシーン、デッド・ヘッズと名付けられその名が定着した熱狂的なファンの様子なども印象的なロック・ムービーになっています。
唯一無二のバンドとして存在した彼らの演奏の素晴らしさ、その音に群がり自由に踊るオーディエンスの姿など、見どころたっぷりの映像作品はバンドのリーダーであるジョージガルシアがL・ガストとともに監督し、丁寧な編集は実にのべ1500時間に及んだということです。
まとめ
リーダーのジェリー・ガルシアが心臓発作により1995年に53歳で亡くなったことで、残されたメンバー4人が解散という選択をした後も伝説として語り継がれ、その音楽への評価が落ちることはないGrateful Dead。
彼らはノージャンルという新しい音楽の概念を生み出し、新しい音響システムを生み出し、人気が出始めてもポップに転向することなくあくまで自分たちのスタイルを貫きました。
伝説的なバンドであるにもかかわらず日本にはその存在を知らない人がたくさんいます。なのに彼らがアートワークに使っていた骸骨のイラストやクマのキャラクターが広く認知されていることが彼らの存在の大きさを物語っています。
解散発表後、残りのメンバーはジ・アザー・ワンズやザ・デッドなど、バンド名を変えながら活動を続け、Grateful Deadの結成から50年、ガルシアの死から20年という節目に当たる2015年に行われた3日間限定のGrateful Dead再結成コンサートのチケットは即完売となりました。
以上、
『グレイトフル・デッド』に伝説の映画があった!名前の由来なども紹介!
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